蚕 2005

 

Performance / Exhibition : ART-ALAN II
Curated by Denizhan OZER (TR)
2005.04.03 - 04.30 Kadiffe st, Istanbul Turkey

Collaborate with Chihiro AKUTSU (JP)

Supported by ART-ALAN II

[路上にて]
イスタンブールで最も歴史深いカディキョイ地区、週末ともなれば多くの酔客でごったがえすバーの並ぶ飲屋街、カディフェストリートの一角に、使われなくなったまま長く放置された青いフォルクスワーゲンがありました。2005年4月、サイトスペシフィックアートワーク、 "silkworm" は、このフォルクスワーゲンに寄生するような形で行われました。多くの人々が日々行き交う通りでありながらも、まるで忘れ去られたように放置されたフォルクスワーゲンは、古い町並みに影を落としながら、「時間」という実体のない流れを行き交う人々の生活を不思議に象徴しているようでもありました。

[無意識の存在を意識の舞台へ]
"Progress Installation" と名付けられた10日間の作業を通して、私たちはここに小さな「繭(cocoon)」を誕生させます。繭の持つイメージは「生まれ変る為の準備段階、抱擁、活性」。この為に素材には柔らかなイメージを持つ毛糸が選ばれました。引けば千切れるような繊細な糸は、何十、何百にも巻きつけられることで肌理細やかな塊へと変わります。

[物事は生まれた瞬間に死に始める]
毎晩9時から10時まで1時間だけ行われた作業によって、青いフォルクスワーゲンは次第に白く埋もれて行きました。日々の風景は日々を追うごとに「当たり前」の風景へと変わります。夜になると毎晩、少しだけ新しい風景が通りの片隅に現れました。
当初は訳の判らない作業に戸惑っていた住民や酔客も、「作業中である」という新しい風景に次第に馴染み、珍しくもまた当然のような行為として眺め始めました。アートという最も「非日常的」な行為が、「日常」へと変わる瞬間です。

[再び路上で]
最終日、人通りの絶えた明方の路上で、アウトドアインスタレーション "silkworm" は、その真白な繭を完成させました。その姿は変化を待つ「準備段階」のイメージであると同時に、人々に忘れ去られた錆びた廃車に脚光を浴びせる、象徴的な「抱擁」でもありました。しかしそれはまた、最も活性的である「プログレスの終り」でもあります。
飲屋街の一角に誕生した一個の白い車型の繭、非日常的なイメージも完成してしまえば再び風景と化し、すでにそこにあるひとつの装置として「時間」という実体のない創造の中へと帰って行きます。

 


Video work "silkworm"
(color / 10'00" / no language / no subtitle / 2005)