Log de Voyage元旦日記

 

夢の中で、わたしは暗闇の中を歩いている。鼻をつままれたって判らないほどの暗闇。

……手探りで奥へ。先へ。それとも、わたしはわたしが向かうべき方向へ。それが……いったい何処なのかさえわからないまま。

暗闇の遠くに、一粒の灯りが見えた。わたしはそこに向かって歩いてゆく。やがて灯る一点の灯りの下に辿り着いたとき、わたしはそこに書かれた一文を見る。

——There is nothing even under the light,
(灯りの下にだって何にもないのに)

それでようやくわたしは、そこには何もないのだということを識った。

新年明けましておめでとうございます。京都・元旦エッセーをお届けいたします。

大晦日も遅い時間になって、パリから泊まりに来ていたフランス人たちを連れて、除夜の鐘なんてものを突きに出かけた。

お寺へ行く前に「年越しソバ」を食べるのも、彼・彼女たちの日本旅行の好い記念になるんじゃないか、そう考えて少し早めに出たのだけれど、近所のお蕎麦屋さんはいっぱいで入れず、数件の蕎麦屋を回ったところで、このままでは深夜0時を回ってしまう、代わりのお店を探そうにも年末はやっていないところが多いから、だったら先にお寺へ行き鐘を突いて、煩悩を払って甘酒を飲んで、それからタクシーに乗って木屋町でも祇園でもよいから、もう少し賑やかなところまで出ようじゃないかと、わたしはそう提案した。

年末の蕎麦屋の状況を甘く見ていたのはわたしの落ち度だけれど、わたしだって日本に戻って来てからまだ日が浅い。京都のことだってまだ右も左もわからない。そんな状況を理解したフランス人たちは、わたしの「プランB」に賛成して、空いた小腹を抱えながらも、一旦は鐘突きに向かうことになった。

ところが、波長の合わない人というのはやっぱりいつもいるものです。数日前に颯爽さっそうと浴衣を羽織って京都に到着してのち、事あるたびに「禅」や「瞑想」について語りたがる「ニューエイジー」なDくんは、「やっぱりお寺へゆく前に何か食べたい」と。

そもそもベジタリアンのDくんは、食べられるものに制限がある。加えて彼は、どうにも人に構ってもらわないと気が済まない。元を辿れば「蕎麦屋プラン」が最後まで決まらなかったのも、スープにはカツオの出汁が入っているからであり、Dくんが「構わないけれど、思想的にはよくない」などと消極的アグレッシブな態度でもって周囲を困惑させ続けていたからである。

「思想的によくないんだったらやめておこう」と言うと「みなのためだから大丈夫」などと言う。いやいや、大丈夫じゃないのはこちらの方で…… 気を使いながら蕎麦を手繰るのも喉越しに悪い。どうしてもというのであれば、日本には(素晴らしきかな)コンビニというものがある。

そういったわけで、フランス人たちをコンビニエンス・ストアーに案内して、ツアー・ガイドよろしくこれから巡るお寺への地図などを確認していると、立派な思想を持ったニューエイジ・ベジタリアンが、プリングルス・サワーオニオンなぞを小脇に抱え、背後で「プシュ」っとキリンビールを開けるのである。

「外で食べると高いから」ということで年末、忙しい時間を割いて自宅で調理し、ベジタリアンだというから気を使って、普段使っているカツオやアゴではなく、昆布と椎茸を出汁にして、豆腐と野菜を中心とした刺激物の少ない「鍋」を準備したにもかからず、炊いたお米以外はほとんど口にしなかったのは、わたしの料理がまずかったのだろうと申し訳なく思っていたが、こいつはどうやら違う様子。
プリングルスには「チキン・エキス」が入ってるんじゃない?と尋ねると、「鶏肉は食べてもいいんだ、鶏は知能が低いから」などと言う。「まぁ、ささみの部分だけだけれどね」なんて偉そうに言い出したところで猜疑心が湧いた。「鶏は魚より知能が低いのか?」と問うと、「海のものはそもそもがいけない」と言う。あとでDくんの奥さんに訊いてみれば、鍋を食べなかった理由は「昆布」が入っていたからなのだそうだ。
別にプリングルス・サワーオニオンがどう、ってわけじゃないがね。肉は食わない、魚も食わない、野菜も食わない、海藻も食わない、それでプリングルス・サワーオニオンとくるんだったら、それは思想の問題ではなく単に好き嫌いの問題じゃぁないかね?それとも、その「思想」の名前が「好き嫌い」か?わたしはだんだんと腹が立って来たのであります。

「ささみはいいけど……」ってのは、ちょっと都合が良すぎるだろう。それは単にささみは嫌いではない、というだけで、そうすると牛や豚を食べないのだって怪しいもんだ。ポーズだろ?「変わった人に見られたい」という、思春期風の。好き嫌いなら好き嫌いだとはっきり言ってくれればよいものを、なにやら小難しい理屈をこねて「禅」とかなんかとか、薄っぺらな知識をひけらかして語るところあたりがかんに触る。

「だったら外で好きなもん食えぇい!」

ゴォォォォォンンン……

大晦日の晩に、南禅寺の鐘の音は響くのであります。

明けて元旦。のろのろと起き出して来たフランス人たちとコーヒーを飲み、和やかな雰囲気で初詣へ。

みやびな賑わいをみせる平安神宮、「買い食いはお参りの後!」と言うのも聞かずに気もそぞろなフランス人たちに、まいっか、なんて気ままなツアー・ガイドよろしく、これから巡る神社への地図などを確認していると、背後で「プシュ」っと音がする。

振り返ると、ソースには豚のエキスが、具材には豚の肉が、そしてトッピングには(なんと!)カツオ節がたんまりと踊る「盛り放題焼きそば」を美味そうに食ろうておるDくんの姿が。

自分の不注意からベジタリアンに肉類を食させてしまったのではないか、という後悔に震えながら、恐る恐る「そのソースにはたぶんポーク・エキスが入っているよ」と進言すると、「美味しいね」と。「なぬ〜!?」っと仰天ぎょうてんして「その上のやつはボニートだよ?」と伝えると、今度は「しょうがないね」と、いまや口元にねっとりと豚のエキスをつけた菜食主義者は、一向に焼きそばを食することを止めやしない。

「美味しいね」で済まされる「ベジタリアン」ってのは一体なんだ?「しょうがないね」で片付く「思想」とは一体どんなだ?

あっけにとられたわたしが「あいつの言うことは信用ならん!鶏も魚もあるかい、あいつが一番知能が低い!」と鼻息荒く憤慨ふんがいし、その後完全にシカトを決め込んでいたところ、神宮参拝後に引いたおみくじには「凶」とでて、「思い上がりを改めよ」とのご神託。

「そうやね~、世の中いろんな人がおるけんね~」とわたしは博多弁で心を入れ替えて、口角を上げて、ヘラヘラしながらもう少し積極的に、この「野菜嫌いのベジタリアン」の話を聞いてやることにする。

以降、面倒な「メディテーション」の話にも「うんうん」と片っ端から頷いてやり、バスに乗るにも順番を譲り、写真を撮るにもシャッターを押してやり、通りがかりの店先で売っていた中古の電気ケトルを購入した際にも、自らこれを持ってやることを進み出て、そうしてコツコツと徳を高めていたところ、次に訪れた八坂神社でのおみくじは「末吉」となり、ありがたや、オラクルは「今の調子で一歩一歩精進すること」との大躍進だいやくしん。そう、寛容の精神こそが重要なのです。

ものごとすべては捉えよう。「鶏は知能が低い」と割り切るところにも、思想的に学ぶべきところがあるのかもしれないし、「海のものは宇宙存在にとって良くない」というのも、馬鹿らしいと切って捨てるべき根拠こんきょはない。ベジタリアンだが美味しければ肉も辞さないとするところなど、非常に根拠じゅうなんであるとも考えられるし、おみくじ所に行き「番号は?」と訊かれて、筒を振って番号を引いてもいないのに、勝手に自分の好きな番号を伝えて、二〇〇円で「大吉」を購入してくる、というのもなかなか斬新ざんしんな発想である。付け加えるならば、そうして引いたくじが「大吉」なのだから、そうそうあなどることもできやしまい。
店先で突然電気ケトルを購入する決断力だって並外れているし、電圧が違うからヨーロッパでは使えないよ、という助言を聞かないのも、わたしが常識というおりの中から物事を眺めているから起こる苛立ちである。そう、苛だち、それが問題なのである。「それ」を感じている主体とは一体誰か?

そこまで考えたところで、思考の霧がすっと晴れる。

——それはすなわち「己」自身である。

わたしはDくんに、己の浅はかさを透かし視ていたのかもしれない。

そうして清々しい目で世の中を見渡してみれば、嫌なことなどひとつもない。ものは捉えようである。新年早々電気ケトルを抱えるわたしは、今やこのありがたい思考によって、新しい歴史の一歩を踏み出しているに違いない。そう、いかに京の歴史が長かろうとも、新春早々電気ケトルを抱えて八坂神社を詣でた男も、そう数多くはおるまいて。

Illustration for Log de Voyage

「それにしても日本は料理の種類が豊富だねぇ。味噌で焼いた魚も最高だったし、あぶり和牛の寿司なんて初めて食べたよ」

そうでしょう、そうでしょう、日が暮れて、すっかり心穏やかな境地に達したわたしは、フランスの友人たちが日本食を堪能たんのうしてくれたことが、嬉しくってしょうがない。

「僕はあれだね、ツキミ・バーガーが好かったね」
もはやベジタリアンのDくんが、なんと言おう(なにを食おう)とも、わたしの心はさわがない。マクドナルドでもモスバーガーでも、お好きなように食べればよろしい。

「僕はあれだね、おでんが好きだったな。トーフにタマゴ、静岡の黒ハンペンってのもなかなかよかったね」

そう言いだした別のフランス人の言葉が、どこか遠くの方で反響する。

「そうそう、味の染みた大根なんて最高ね!」

あ、うん、いや、まぁ……
話は妙な方向へと転がり始める。

「ね?おでん美味しかったわよね?」
そう訊かれたわたしは思わず困惑する。

いや、おでんは好きですとも。それはもう……

「……大根以外はね」
おずおずと告げる。ヘビとおでんの大根は苦手であります。

「えぇ~!?大根嫌いなのぉ?美味しいのにぃ!」
……そうですね。その反応はすごく昔からよく知っています。だけど嫌いなものは嫌いなんだから、実際しょうがないじゃないか。

「好き嫌いはいけないと思うよ」

続けてそう言い放ったDくんに、わたしは思考は停止した。

「What’s a F××× ar% you ♪%☆※ing ↑●%u〆? That’s a →▽♨︎@’n ☆ 々£it! Do you think ⁑〆△♪⌘→※% ♨︎ ……『明けましておめでとうございます。今年は寛容の精神を心がけて、謙虚であることによって自身が高まるような年にしたいと考えております』(意訳)」

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