Log de Voyageラヴ・アンド・アライヴ

 

「アートはアライヴ(Alive)だ!」
師と仰ぐK氏は、ある日酔っ払ってそう仰った。

「ライヴではなくてアライヴだ!『ア』のところが大切だ!」

はて、前回お会いした時には

「アートはラヴ(Love)だ!これが答えだ!」
酔ってそう仰っていたような気もします。

——ふぅむ。師匠は「生きた言葉の世界」に住んでいるね。

「生きる」とは矛盾と対面することで、「学ぶ」とはそこに折り合いをつけてゆくことかもしれません。

『「僕が言葉を使うときはね」とハンプティ・ダンプティはあざけるように言いました「その言葉は、僕がその言葉のために選んだ意味を持つようになるんだよ。僕が選んだものとぴったり、同じ意味にね」
「問題は」とアリスは言いました「あなたがそんなふうに、言葉たちにいろんなものをたくさんつめこむことができるのかということだわ」
「問題は」とハンプティ・ダンプティが言いました「僕と言葉のうちのどちらが相手の主人になるかということ、それだけさ」』
「鏡の国のアリス」ルイス・キャロル(Through the Looking-Glass, and What Alice Found There / Lewis Carroll)】

かくして「ラヴ・アンド・アライヴ」な世界は立ち現れる。
自らを主(あるじ)とするこの世界では、整合性の逐一よりも、間と調子と相性の好し悪しこそが、大きな存在感を示すのであります。

Illustration for Log de Voyage

◇ ◆ ◇ ◆

晩秋の韓国。とある田舎町に滞在していた頃、同じプログラムへの参加者に若いイギリス人のアーティストがおりました。

朴訥ぼくとつな印象のトビーくんは、律儀りちぎで真面目で純粋で、彼が初めて直面するアジア世界(アナザー・プラネット)を、せいぜい正しく理解しようと努めている。

小さな村の小さな集落、現地の人々には「西洋人」が珍しい。たいして冗談をいうわけでもないトビーくんも、ここでなかなかの人気者であります。「どこから来たの?イギリス?へぇ〜!韓国は初めて?韓国の印象は?英語の発音うまいよね。ちがうちがう、안녕、『アンニョン』じゃなくて안녕、わかる?안녕。ところでマッコルリはどう?」

歩けばキャー、振り返ればキャー、発音が上手ければキャーで、たどたどしくてもそれでキャー。無敵のモテ期のトビーくん。まぁ……だからどうという訳でもないのですが…… 一体、この「誉め殺し逆レイシズム」のような現象は、地球上のどこかで、わたしの身にも起こり得るのでしょうか。

同じ頃、プログラムと提携ていけいしている美術館に勤務していたアメリカ育ちのソラは、そんな「西洋人」たちが、韓国文化の表層的な珍しさにいちいち反応するのが面倒臭い。

「『どうして韓国人は辛い食べ物が好きなの?』だって。知らないわよ。Because it makes them happy じゃない?『韓国人は……』って、わたし辛い料理は好きじゃないし。Ask your mom, って感じ」

実際、誰がどこでどんな好奇心を発揮しようと自由なものです。しかし、世の中には「相性」というものがある。なんとももどかしいトビーくんの言動に、ソラはネガティヴな反応を示す。

「助けをうような目でこっちを見るの。保護者にされたような気分でみじめだわ。『どこから来たの?』って、通訳が必要ってほどの会話でもないでしょ?朝から百回も同じことを繰り返すのよ」

たとえば仏教的思考においては、「砂糖」は「甘くない」とも云われます。「甘い」のは縁のなせる業。つまり砂糖を「手のひら」に乗せても「甘く」はない。甘さが生ずるのは砂糖を「舌の上」に乗せたとき、つまり「甘い」と感じられるのは「砂糖が舌と出会ったとき」とされるのです。

甘さが生ずる砂糖と舌とを「良縁」とするならば、「風邪」と「人」とは悪縁かもしれません。風邪の菌も人間も、お互い悪気はないのだけれど、一緒にいると不幸になる。風邪はそれを嫌がる人間によってめっせられるし、人間は熱を発してウンウンうなる。つまりは相性。ソラとトビーくんは、どうも巡り合わせが悪い様子です。

「会話をこっちに任せっきりなの。交流したいんだったら自分から話さなきゃ意味がなくない?ハイスクールのエクスチェンジ・スチューデントだってもっとマシなこと思いつくわ」

「現地リサーチ」という名目で呼び出されて、丸一日付き合わされた挙句、結局仕事らしい仕事などなにもない。事あるたびに村人に呼び止められては「どこから来たの?へぇ〜イギリス!韓国は初めて?英語うまいよね!」なんて(ああ、デジャ・ヴュ!)えない好奇心の仲を取り持たされて…… そうして今、またそのどうでもよい会話の終了を二〇分もエンジンをかけたままの車の中で待っているソラ氏は、もういい加減うんざりしている。

「じゃぁマッコルリ一杯だけ!」
食堂に連れ込まれるトビーくん。ソラを振り返ってこう言った。
「Can you wait, just one minute?」
(ちょっと待ってくれない?一分だけ)

「Just one munute」は英語でよくいう「ちょっと」の表現。直訳すれば「一分だけ」だけれど、けっして「一分」を意味しない。
およそ気の好い一般的韓国人ならば、ここで期待される回答は「ケンチャナヨ~(大丈夫ですよ!)」。しかしアメリカ育ちのソラ氏は違う。もちろん「one minute」の意味は踏まえた上で……

「Okay, I will be counting」
(オッケー、じゃぁ一分数えてるわ)
アメリカ式の人懐っこい笑顔でニコリ。

不満を「ヒューモア」に昇華しょうかするのは、魅力的な大人の態度であるようにも思えます。

◇ ◆ ◇ ◆

トビーくんと関わるのは金輪際こんりんざい無理、と判断したソラの代わりに「Kindly asked(親切を強要)」されたのはわたしでした。

ある日トビーくんはこう言った。
「村に伝わる『馬』の文化について調べたくて、獣医さんと食事の約束をしたんだ。一緒に来てくれない?」
おお!見上げた姿勢!成長したね、トビーくん。もちろん、こんなわたしでよかったら。

ディナーには、展覧会を企画したスニョンも同行することになった。

◇ ◆ ◇ ◆

「なんと、馬の視界は三五〇度もあるんですか」

サムギョプサルを囲んでの食卓。獣医さん、トビーくん、スニョン、わたし。会話はもっぱらわたしと獣医さんの間で進んでいる。

展覧会のオルガナイザーであるスニョンはトビーくんに肉を切り分けることに忙しい。ふぅむ、彼女もあれだね、「優先順位」のつけ方がわたしとは違うね。
それにしても……何故トビーくんはさっきから何も訊かない?作品のために馬の話を訊きたがっていたのは、彼の方ではなかったのか?わざわざ獣医さんが来てくれているというのに。ハサミで切る豚焼肉の珍しさは、別の機会に譲らないかね?わたしはチラリと視線を送る。

「……うむ」

トビー君は頷くばかり。ふぅむ。こんなに無口な英国人は初めて見たね。それにしたって。会話は彼の母国語だろう?言語での表現力に一番長けているのは彼じゃないか。何故わたしなどが進行役に?

「ほら、トビー、温かいうちが美味しいわよ」
スニョンが豚肉をお包みになる。トビーは従順じゅうじゅんにお召しになる。
……なにコレ?

「……では馬というのは『耳』によって、ずいぶんいろんな感情を表現をしているんですね」
わたしはトビーくんが興味を持ちそうな話題を選んで広げる。獣医さんはマッコルリを片手に答えてくれる。トビーくんは……

「……うむ」

ああ、デジャ・ヴュ!ソラが言っていたことは正しかった!

興味がなければ話題を変えることも簡単な速度の会話。何故トビーくんは何も訊かない?メモを取るわけでもなく、先ほどからしきりにスニョンが巻いてくれる野菜で包んだ豚肉ばかりを召し上がっておる。辛い味噌を適度に絡めた、豚肉野菜包みはさぞ美味かろうて。
そもそもこれは誰の仕事?イギリスからやって来たばかりの何も知らない「外国人」だから?韓国の人々は優しく、いつも世話を焼いてくれる?
ちょいと依頼心が強すぎやしないか?わたしはイギリスでそんな待遇を受けたことはないよ。友人のイギリス人は、旅行でロンドンに到着したばかりのわたしに、ガイドブックを一冊投げてよこしてきただけだった。
「チューブは一日券の方がたぶん安いぜ。夜はパブに飲みに行こう!」
……ああ、なんて素敵な放任主義。いちいち「してあげちゃう」のは、過保護というものではないのかね?

「ではそろそろ。私はこの後にも予定がありますので……最後に何か訊きたいことは?」

獣医が尋ねる。—— 一瞬の沈黙。
……この辺りが「鈍さ」を感じるところなのです。
仕方がない……

「トビー、これは君のリサーチだろ?」
まるでベビーシッターであります。トビーくんはようやく我に返る。

「ええっと、何か……人類が馬から学ぶべきことなどありますか?」

おおっと!

なんという短時間でまとめにくい質問。哲学のリサーチだったのなら最初からそう言ってくれればよいものを……しかし、そもそもそれは獣医さんに尋ねる質問?トビーくん、次からまずはママに訊いてくれ。

Illustration for Log de Voyage

Illustrations by Kaori Mitsushima

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