秋はサンマが美味いらしい。
魚、という選択肢は今朝起きた時点ではなかったけれど、「脂ののったサンマ」という響きはいかにも美味そうだ。昼からサンマを焼いた定食なんていいんじゃないか。
商店街を歩く。昼飯時のあちこちには、好い匂いが漂っている。茄子、なんてのも秋の食べ物だよね。お惣菜屋さんに並んでいる味噌で煮込んであるやつなんて美味そうじゃないか。……ってまぁ、しかしお惣菜の場合は持ち帰って食べることになるよね。今の気分はなんかこう……席に座ってのんびり食べたい。
「大戸屋」にはサンマがあるらしい。大々的に宣伝してある。炭火で焼いたサンマの定食、税込九二〇円。……ふむ。
そういえばさっき歩いてる途中に、フワリとニンニクの香りがしたな。あれは弁当屋の前だったか。いまいちサンマに心ときめかないのは、ニンニクの香りを嗅いで以来どこかでニンニクのことが気になっているのかもしれない。ニンニクとカレーの匂いには抗いがたい。戻って確かめてみようか。あれはこう、なにか麻婆豆腐のようなものではなかっただろうか。……うん。そう考えるといかにも麻婆系であったような気がしてきた。中華というのも抗いがたいね。ニンニクの効いた麻婆茄子なんて天才じゃないか。今日はなにかこう、ガーリック的なものを食べようかしらん。
しかし、弁当屋の前にはもはやニンニクの香りはしていなかった。それとも、あれは弁当屋の匂いではなかったのか。麻婆の類も置いていないし、ふぅむ。こうなるとどれがニンニク的な料理なのか見当がつかんね。単純にニンニク的なものを食べたいならば、駅前のラーメン屋という手もある。あそこなら「おろしニンニク」入れ放題だし。……しかしあそこのラーメンは醤油スープである上に、一杯が九五〇円もしてサンマよりも高い。だいたい「激」とか「極」とか書いてあるラーメン屋は苦手だし。それに「ニンニクの効いた料理」と「おろしニンニク入れ放題」では、若干コンセプトが異なる気もする。
どうせ駅前まで行くのであれば、高架下のレストラン街のハンバーグ屋はどうだ?以前食べたハンバーグ定食は美味しかったし、サラダ付きで五〇〇円というのも激・リーズナブルで極・嬉しい。そういえばハンバーグカレーを頼んでいた客も多かったな。ハンバーグ屋のハンバーグカレーというのも美味いのかもしれん。あれも五五〇円くらいだった。……んん、カレー……
そういえば駅の反対側にはカツカレーの専門店がある。レギュラーサイズはちょっと少なめだけれど、大盛りなんかにもできるはず。とんかつ、といえばパチンコ屋の裏には「とんかつは伝統芸です」と書いてあるとんかつ屋があったな。まぁこれは、とんかつ定食一二〇〇円と、何でもない一日の昼のひとり飯には論外の額であるが……
安くあげるなら「富士そば」か?それとも「松屋」?「てんや」?「てんや」はそれほど安くはないか……そういえばロータリーの先には素うどん一〇〇円の「にこにこうどん」もあったっけか。しかしフランチャイズってのはなぁ……
……といったところで、さて、そろそろ三分が経ちました。焼きそばはやっぱり「UFO」です。
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◇ ◆ ◇ ◆
「DVDには+と-の二種類があります」
クリクリマナコの女子店員は、わたしを見ながらそう言った。
——ソウル。鍾路区。出先の作業で急ぎDVDが必要となった。駆け込んだのは滞在先の近くの百貨店。DVDにそんな規格があるなんて知らなかった。
「どう違いますか?」
クリクリマナコの女子店員は、クリクリした目をクリクリさせて
「同じです」
「いや、違うから二種類あるんでしょう?」
「アナタのDVDライターが新しければ、どちらのDVDも使えます」
「では、古くても使える方をください」
「選んでください」
いや、だから古くても使える方を……
「+と-の二種類があります」
ふむ。
「——OK、では韓国ではどちらがポピュラーですか?」
「同じです」
「では何故二種類ありますか?」
「古いDVDライターでは書き込み出来ません」
「古いというのはどれくらい古いヴァージョンですか?」
「今のヴァージョンよりも古いものです」
ふぅむ……
「昔からある方をください」
「同じです、選んでください」
ふむぅ……
——ドレッシングはオイル・ビネガー、シーザー、バジル、バルサミコ、四川風、ジェノベーゼ、ハラペーニョ、マンゴー、マスタード、ハニー、有明のりのゴマ・シソ・わさびマヨネーズとゆず風味ポン酢からお選び頂けます——午前一時から午前九時までの国内通話がかけ放題。さらにお昼間家族同士での通話が多いアナタには、ご家族同時加入でパケット通信量最大六ギガまで無料のファミリー・ベーシック・プラン・スタンダード・ダブル・プラス!——日曜・休日の四月から九月は十二時から十八時、十月から三月は十二時時から十七時、仏滅、先勝、先負、友引、赤口、土用の丑の日以外はこの先右折による車両乗り入れ禁止。絶対禁止。行政特別禁止地区——六白金星七月生まれのアナタの今日の運勢は吉。友人に頼まれごとをされると嫌とはいえないナイーブなアナタ、満足できない結果は次に生かして。今日はハンバーグにマッシュポテトを乗せてさらに金運アップ——
……ってああ!もう!ちょっと細かすぎやしない?
「選んでください」
クリクリマナコの女子店員は、クリクリマナコをクリクリさせて、ジリジリわたしににじり寄る。
「……よく売れている方を下さい」
「同じです」
「……安い方を下さい」
「どちらも二千ウォンです」
——むぅ、八方塞がり。もうダメか?
「両方とも五枚ずつ下さい」
チーン!クリクリした目が一回転した。
「ありがとうございます、二万ウォンです」
ふう!
ほっと一息、レジへ向う。
無事に会計を済ますと、クリクリマナコの女子店員はゆっくりとレジから顔をあげて、わたしを見ながらこう言った。
「お客様、本日限定サービスのギフトがこちらの五種類の中からお選び頂けます」
……シット。
◇ ◆ ◇ ◆
「パスタがあるわ!」
そういってニナはこちらを振り返った。ふむ。わたしはイヤぁ~な予感がするよ。
前日の遅くに到着したドイツ。バイエルン州、州都ミュンヘン。ニナが経営するギャラリーの下見は翌日に回すことにして、旦那さんのペーターと一緒に入ったレストラン。遅い時間だしお腹は空いていない、軽めのものかビールだけでもかまわない、と伝えたにも関わらず、わたしの前に運ばれてきたのは三〇〇グラムのステーキだった。
……いや、ステーキは大好きなんですが……
ニナ曰く「もうあとは寝るだけだから食べた方がいいわ」
そう。あとは寝るだけなんです。だから食べたくないんです。自分の注文を自分で決められないディナーはどうも苦手であります。
「どうしても」というので「だったらひとつだけ……」と伝えたら、「ここのは本当に素晴らしいの」と、アイスクリームが五つも盛られたデザートがやってきた。三人で一皿、ではない。各自一皿といった具合。平等なのはいいことだけれど、基本的な自由の問題である。それとも「友愛」というやつが深すぎるのだろうかね。ヴァニラに溶けてゆくチョコレートアイスを眺めながら、わたしの心にも濃厚でビターな不安が広がり始めた。
◇ ◆ ◇ ◆
——ホテルの朝食はビュッフェ式で、野菜が新鮮で美味しかったよ。それにしてもビュッフェってのはアレだね、どうしても食べ過ぎてしまうね。まだお腹がいっぱいだよ——
「朝食は食べた?」と訊くニナにわたしはそう答えた。確かに、間違いなく、絶対に……「お腹がいっぱい」のところを若干強調しながら。
ビュッフェで野菜をつついたのは本当だが、実際のところは朝食どころではなかった。午後十一時過ぎの三〇〇グラムのステーキとアイスクリームで、夜中まで腹が張って眠れなかったのである。
——それで。
朝からふたつの美術館を観て回り、午前の終わりに少し休憩しようという話になった。
「何か食べたほうがいいわ!」
……きた。
「オッケー、ニナ。でも(十五分前にいわなかったっけ?)僕はまだお腹が空いてないんだ。気にしないでニナが食べてよ?」
「サンドイッチもあるわよ。これなら小さいわ」
「いや、サイズの問題じゃなくて……」
突き詰めれば基本的人権の問題かもしれない。
「あ~ニナ、食べたくないんじゃなくて無理なんだ。朝からソーセージを二本も食べたことを後悔しているよ」
ハードコアなコンセプチュアル・アートの作品展を立て続けに二本も観て、すこし頭がボンヤリとしてきたわたしは、どうにも珈琲が飲みたかった。
「ケーキはどう?」
事態は悪い方へ転がり始めた。「No」を四回も繰り返すなんてことに、わたしはあまり慣れていない。
「うん、ニナ、ありがとう。でも本当に朝からお腹が一杯なんだ。まだ十一時だし。もう少し後だと食べれると思うんだけれど……」
「チーズケーキもあるわ!」
……悪い予感は完全に当たった。
「本当にありがとう。でも珈琲だけでいいんだ、本当に」
「これはミュンヘンの伝統的なケーキよ。せっかくだから食べてみたら?」
行く先々で「せっかくだから」という理由でものを食べまくっていたら、とてもじゃないが胃がもたない。
「じゃぁディナーの時にでも挑戦するよ。今はね、本当にお腹が一杯なんだ。申し訳ないけど……気にしないでニナが食べたらいいさ」
「ひと口かじって残しちゃえば?」
残す?……ケーキ職人に悪いじゃないか……なんてわたしが思ったその瞬間——
「じゃぁエスプレッソとカフェ・ラテ、それからショコラーデンクーヘンふたつ。ビッテ!」
——なんと!
……いくらわたしがドイツ語を喋れない外国人だからってそれは酷いよ。ショコラ?クーヘン?「ツヴァイ(ふたつ)」っていったよね?ひとつはニナ、もうひとつは?
……いや、チョコレートケーキは好きなんですが……
ため息のダンケシェーン。六回も「No」っていったのに……
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Illustrations by Kaori Mitsushima |
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【Log de Voyage】 は隔月一日更新です。次回は十一月一日、お楽しみに!
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