アメリカの映画監督スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)がイギリスのアーサー・C・クラーク(Sir Arthur Charles Clarke)と組んで「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)」という映画を発表したのは一九六八年のことで、この作品は宇宙航海中の人工知能「HAL」が人間を裏切り、人類史上初めて自らの意思で殺人を犯すというものであった。
一九七〇年に発表された手塚治虫の漫画「火の鳥・復活編」では、「ロビタ」という大量生産型のロボットが、人間との社会的な確執の末、集団自決するという物語が描かれている。一九七〇年前後は、巧みな空想力で人間社会の未来を描くSF(サイエンス・フィクション)の作品が多く発表され、広く社会の関心をひいた時代でもあった。
人工知能による殺人、ロボットの集団自決、そのようなことは現実のわたしたちの社会には起こっていない。しかし、今から50年も前に描かれたこれらのSF作品が、何かしら奇妙な説得力を持って、今日のわたしたちの社会に問題を提起してくるようにも感じられるのは一体何故だろうか。
「ロボット工学」というのを英語で「robotics」と言う。これはアーサー・C・クラークと並ぶSFの巨匠アイザック・アシモフ(Isaac Asimov)が、自著の「ロボット・シリーズ」の中で「robot」に、物理学「physics」などに使われる語尾「-ics」を付けることで作り出した造語である。
アシモフは、一九五〇年に刊行された初期の短編集「われはロボット(I, Robot)」の中で「ロボット工学三原則」、すなわち……
第一条.ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看破することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条.ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。
第三条.ロボットは前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
……を提言した。この「三原則」は、後のSF作品に大きな影響を与えただけではなく、現実のロボット工学においても研究上の倫理的指標のひとつとなっている。
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二〇一四年、Google がロンドンの人工知能開発企業「DeepMind」を買収し、「Google Brain Team」を立ち上げた。同社はこのプロジェクトにより「人類の外付けの脳」、すなわち「世界を覆う人工知能ネットワークの完成を目指す」と発表した。
人工知能(AI)の研究で注目を集めているのが「ディープ・ラーニング(深層学習)」という学習方法である。簡単に言ってしまえばこれは、人間が人工知能にひとつひとつ「知識」を与えてゆくのではなく、「どうすれば効果的な結果を生み出すことができるのか」という自己分析の方法、つまり「学び方」を教えるのである。
「授人以魚 不如授人以漁(飢えた人には魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ)」というのは、教育の世界ではよく引用される中国古典の教えだが、Google社の開発した人工知能「AlphaGO」は、このディープ・ラーニングの効果的な活用によって、二〇一五年世界で初めて囲碁界のプロ棋士を打ち破った。
論理的に次の「手」を予測して、勝利を目指すチェスや将棋よりもはるかに複雑で、棋士の直感力が試される、とされる囲碁では、AIが人間に勝利するにはあと一〇年はかかると言われていた。Googleの研究者はまず、人工知能に約三〇〇〇万のプロ棋士の対戦情報を入力し、その盤面を「パターン解析」させた。そして同じように学習済みのAI同士を対戦させ、ここから得られた情報をさらにディープ・ラーニングに活用することにより、人工知能技術を飛躍的に向上させたのである。
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Illustration by Kaori Mitsushima |
こうした人工知能の深層学習の先に見え隠れしてくるのが「二〇四五年シンギュラリティ問題」である。「シンギュラリティ(Singularity)」とは、技術的特異点とも言われ、これは人工知能がこのまま自己学習を進めてゆけば、ある一点で、人類がAIの未来を予測できなくなる段階に達する、という仮説である。現在のまま進んでゆけば、二〇四五年頃に起こるのではないかと言われている。
人工知能はすでにわたしたちの生活の至るところに適用されている。ネットワーク上の情報検索はもちろん、閲覧履歴を参照とした取捨選択、商品の提案、案内。事務処理から事務作業の効率化、車の自動運転まで、「ロボット」は旧来的な肉体労働の肩代わりだけではなく、いわゆるホワイトカラーの職務まで担うようになった。
そうして人間が不得手とするものや面倒臭いと感じるものを、次々とAIにアウトソーシングしてゆくような時代の流れの中でわたしたちが次に目撃する社会的な現象とは一体どのようなものであろうか。
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一九六八年に発表された、フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)のSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(DO ANDROIDS DREAM OF ELECTRIC SHEEP?)」には、自身を破壊しようとする主人公に「自己防衛の原則」から「壊さないでくれ」と哀願するアンドロイドが登場する。主人公はそのアンドロイドに人間以上の人間らしさを感じ、好意を抱くようになってしまう。
「創造物に対する愛」というテーマは、プロメテウスの昔から数多くの創作物の主題として取り上げられている。
人間が、人間同士のコミュニケーションを面倒臭いものだと感じ始め、やがて人間的なふるまいも苦手となり、コミュニケーションに人間的な実りを期待するのならば、擬似的とはいえ(あるいはもはや擬似とは呼べないレヴェルの仮想現実なのかもしれないが)AIに任せた方が安全で、効果的であると考えられるような時代がやって来るのだろうか。
人間の人間たる部分とは何か。先に紹介した映画や小説、漫画が、時代を超えて今日のわたしたちの社会に問題提起をしてくるように感じられるのは、これらの作品群が、普遍的な「愛」や「生命」や「存在の意義」、あるいは神のいない新しい時代の倫理に、直接の問いを投げかけているからなのかもしれない。
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