Log de Voyageある過去の物語り

 

 

わたしたちはしばしば、過去を後方、未来を前方に存在するものとして、時間の流れを直線になぞらえて説明する。時間というのは前方から一定の速度でやって来て、今を通過し後方へと去る。言われてみれば確かにそのように感じられるし、ところで、世界にはそうでない認識の方法も存在している。

『サピア=ウォーフの仮説』で有名なアメリカの言語学者、ベンジャミン・ウォーフ(Benjamin Whorf)によれば、世界には、西洋の言語でいうところの「時間」という概念を持たない言語も存在している。例えばアメリカン・インディアンのホーピ族が使うホーピ語には、「時間」という単語はもちろん、過去・現在・未来、持続や継続といった、時間に対する働きかけを指し示す語彙も文法も、構文も表現も存在しないのだそうだ。

「時間が存在しない世界」——それは一体どんなものなのだろう……

もっとも、他言語の思考方法でそれを捉えることは無理なのかもしれない。少なくとも、それはわたしが日本語で思い描く「過去も現在も未来もない世界」とは、まるでかけ離れたものだろう。

そうしておいてホーピ語では、実際、他の言語と同じように、宇宙の観察可能な現象を実用的に正しく、隅々まで記述することができるのだという。例え他の言語話者には想像がつかなくとも、彼らは彼らのやり方で、「時間」という概念を一切使用することなく、想像力で知覚を拡張させ——つまり他の言語もやっているように——「矛盾」と理性的な折り合いをつけながら、彼らの宇宙を細部まで 緻密ちみつに描写することができるのだという。

つまり——

——言語を違えれば世界の認識の方法も異なる——

わたしたちは普段、自分たちを取り囲む世界のあり様を、自分たちの言語という「見解」に当てめながら、ただ一方的に覗き見しているだけに過ぎない。「時間」のように、身体のそばに存在しているように感じられ、一般的に普遍的だとされている概念でさえ、そんなものを認知しない言語の中では所詮しょせん不必要なものとなる。近代以前の日本でだって、時間は季節によって伸び縮みした。つまりある言語システムにとっては不可欠である概念を使用せずとも、別の言語では、別の抽象的概念を使用することによって、宇宙の仕組みを破綻はたんなく再構築することが可能なのである。

それにしても。

「過去」はどこへ行くのだろう。そして「過去に生きた人々」は、一体どこへ行くのだろう……

 

Illustration for Log de Voyage

Illustration by Kaori Mitsushima

 

◇ ◆ ◇ ◆

……………………

町の喧騒けんそうが聞こえて来て、遠くから意識が戻ってくる。長い夢を見ていたような気もするけれど、暑さに悩まされてほとんど眠れなかったようにも思う。

インド、西ベンガル州、州都コルカタ(Kolkata)。二〇世紀の終わり、町はまだ「カルカッタ(Calcutta)」と呼ばれていて、インターネットも携帯電話もまだまだ一般的ではない時代。いわゆるバックパックと呼ばれる貧乏旅行。東南アジアのいくつかの国境を越えて、わたしはインドを旅していた。

インドの雑踏ざっとうは、わたしにとって明快な混沌こんとんだった。細い路地にひしめく人々、鉄を打ち布を裂き、あるいは拾い集めたプラスチックを山のように積み、リクシャのベルが人々の間を走る。まばたきの瞬間に誕生と消滅しょうめつとが始まり終わり、生まれたそばから弾けては消える。原始から続く永劫えいごうのケイオス。突然目の前に現れては、次の瞬間には彼方へと去る。目の前に広がる巨大な空間と時間、そこにはただ「生きている」という実感だけがあった。

大きく伸びをして、ドミトリーの二段ベッドから起き上がる。南インドからコルカタへと戻る、二七時間の長い列車移動の疲れで、身体の節々に痛みがあった。

——流石に疲れが溜まっているのかもしれない。

ポケットを探ると、数枚の細かい紙幣が出てきた。

——チーズ・クリーム・リゾットでも食いに行こうか。

前日、ゲストハウス近くの食堂で見かけたチーズ・クリーム・リゾットは、四五ルピー(約一三五円)だった。南方の田舎で食べていた、二〇ルピー(約六〇円)のカレーやビリヤニーよりも、倍以上の値段がする。

——今日はちょっと贅沢をしよう。

そう決めた。

旅のような一見不規則な生活の中にも、必ず安定したリズムがある。暗くなれば心細くなるし、夜が明ければ腹も減る。「ルール」ではない、自然に則した「リズム」。それにあらがうならば消耗するし、寄りうならば心地よい。疲れた時には無理をしない。落ち着いて調子を整える。それはこの旅の途中に学んだことだった。

実際、「金を払って貧乏を体験する」というのだから、「貧乏」とはいえ、ずいぶん贅沢な話かもしれない。しかし、そんな貧乏旅行につきまとう「清貧」の感覚は、わたしを十分誇らしげな気持ちにさせた。モノが溢れる社会から、一瞬でも解き放たれたような、自由の感覚がそこにはあった。

なにかひとつ必要なものを手に入れるためには、なにかひとつ不必要なものを手放さなければならない。それはひとつの哲学だった。バックパックの容量は限られていたし、そもそも背負って歩けるモノの量には体力的にも限界があった。できればすべてを手に入れたい。しかしすべてを背負って歩くことはできない。では何を捨て何と共に生きるのか。等身大の人生は、いつも真正面から問いを投げかけてきた。

◇ ◆ ◇ ◆

ゲストハウスを出て大通りを歩いていると、一人の男が話しかけてきた。四〇代くらいにみえたその男は、あわれみを誘う仕草で空腹をうったえ、自らの悲惨な身の上話をしてくる。

インドの大都市のいたる所に、そんな「悲惨」は転がっていた。彼らは拒んでも詰めかけ、わたしが(わたし自身でもまだ)何をしたいのかを知らないうちから、「なんでも叶える」というようなことを言い、人間的な付き合いを拒否し、隙あらば過剰な代金を請求し、人を簡単に信用することができないようにした。

「マスター・リッスン・トゥー・ミー・マスター!」

男は後ろからついてくる。わたしは炎天下を無言で歩く。

いったいどんな残酷な訓練だろう。彼らはわたしが見たくない、聞きたくと願うものを一方的に見せ、聞かせ、ひと度その悲惨に同情して立ち止まるならば、それを心の弱さとみなし、同情への対価を要求した。

ビクトリア・メモリアルまでついて来た男を巻こうと、早足で通りを横断しようとすると、それまで近くに座っていた野良牛がいきなり腰を上げて、わたしの行く方向をさえぎるようにして歩き出した。ハッとしたわたしは歩く速度を落とした。それは、何かの暗示のようにも思えた。

——チーズ・クリーム・リゾットは無しだ。

振り返ってわたしは、少し離れたところにたたずんでいた男を食堂に誘った。

男は名前を「カル」と言った。そんな名前はないだろう、と言うと、嘘みたいに聞こえるかもしれないが、本当に自分の名前は「カル」なのだと言った。「カル」とはヒンドゥー語で「昨日」を意味し、そして同時に「明日」という意味だと聞いていた。

「ここではない」という意味なんです。カルはそう言った。年長の男に懇願こんがんされるような眼差しを向けられるのは、わたしにとっては居心地いごこちのよいものではなく、微笑むこともはばかられた。

カルは二日間何も食べていないと言った。わたしはベジタブル・ビリヤニーとケチャップのかかったプレーン・オムレツ、それからチャイをふたつ頼んだ。

カルは田舎で職を失い、二週間ほど前にコルカタに出てきたのだと言う。奥さんと子供がいる、と言うので、わたしはさらに二〇ルピー(約六〇円)を渡した。カルは申し訳なさそうに、前日の日付の新聞をくれた。今朝ハウラー駅で荷物を運んで、そのお礼に貰ったのだと言う。

わたしには何も言えることはなかった。貧乏旅行者がいくら貧乏を気取ってみても、それは逃げ道のある、守られたレクレーションに違いなかった。

◇ ◆ ◇ ◆

カルと別れて町を歩く。

マザー・テレサの家の近くには人ごみが出来ていた。 コルカタでは何もすることがない人々がよく道ばたに寝転がっていて、昼寝だか物乞いだかをしていた。中には両手両足さえなく、肉の突端を一日中パタパタと振っている者もいる。

そのときの様子は少し妙だった。

ざわざわとした静かな人垣が出来ていて、どうしたのだろう、と人ごみに混じって行くと、身体の細い男が道路に横たわっていた。

「He was hungry」(彼は腹ペコだったんだ)

近くにいたインド人がそう説明してくれた。 五ルピーで食えるバナナの葉包みカレー屋台の隣りで、色黒のその細い肉体は、空腹の為、天に召されたということだった。

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【Log de Voyage】 は毎月一日更新です。次回をお楽しみに!

 

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