「水曜ヒマ?」
なんて日曜日に訊かれても、予定の調整は難しい。少なくともいくつかの町に住んできた経験からいえば、町にはそれぞれ約束にかかる時間の相場のようなものがあって、もちろん、当人同士の親密度にもよるけれど、例えばパリでの「今週末」は、先週半ばには決まっている。予定が、「入っていない」ということも予定のうちだと考えて……
「水曜日から四週間、時間ある?」
そんなメールが飛んできた。パリ。寝ぼけまなこの日曜日。
メールは残念ながらデートへのお誘いでも、パーティへのお誘いでもなく、レジデンス・プログラム参加へのお誘い。
「アーティスト・イン・レジデンス・プログラム」というのは、数週間から数ヶ月間の現地滞在を通して、主に作品の制作・発表を行うという取り組みで、世界各地で行われている。有名、無名に関わらず、堅いところ、柔らかいところ、硬派なところ、軟派なところ、トンガったところ、イージー・ゴーイングなところ、というよりもでたらめにゆるく、むしろ逆にクレイジーなところ……行政主導のものから私設財団、個人ギャラリーが運営するものまで、その形態は幅広い。
さて、今回のメールの発信元は——
——コネティカット。
ニューヨークとボストンの間に位置していて、先住民の言葉で「長い川が流れる土地」。ゲーム「モノポリー」で土地を買い占めるとビルが建てやすい。
アメリカかぁ!なんて嬉しいのはやまやまだけれど、水曜日から?「明後日」なんて「じゃぁ映画でも?」といった程度の距離の問題。
待ちたまえ!急にいわれてもこちらにも都合というものがある!
私の予定は……
ひと月ほど集中していたデザイン仕事は納品が済んだばかり。修正があっても二、三日の話だろうし、最悪ラップトップがあれば、どこでだって作業はできる。同じく書きかけの書類なんかも、滞在先で続けることはできるだろうし、来週にかけていくつかのお誘いはあるものの、当然これらは断ることもできる。はて、そうすると……行けるだろうかね、アメリカ?
前年度にプロポーザルを送っていた、プライヴェート・ファウンデーションが主催するこのプログラムは、コネティカットの広大な森の中に位置しており、環境をテーマとした作品、あるいは土地の特性を活かした、「サイト・レスポンシヴ・ワーク」を中心に活動をする作家たちを支援している。プログラムに参加できるのは、いわゆる美術作家だけにとどまらず、小説家、コンポーザー、デザイナーやパフォーマーなど、その表現方法に制限はない。またそうして集まってきた人脈を活かして、二年に一度、「エンヴァイロメント」をキーワードとしたビエンナーレを開催している。
参加作家の公開募集から数ヶ月の審査を経て、彼らはすでに今回の招聘アーティストを決定しており、ひと月ほど前に、私は但し書き付きの選外通知を受けていた。「但し書き付き」というのは……
『今回は残念ながら、応募者多数のため選外となりましたが、次の機会には是非あなたを招待したいと考えています』
せいぜい形式的な挨拶だと思っていたのに、「三日で大西洋を渡って来い」とは、なかなかもって大胆なお誘い。「欠員が出たため」とはいうけれど、アメリカに行ったことのない私は、何か新鮮なものを感じている。
そういえば日本では時々、ヨーロッパもアメリカもひっくるめて「欧米」なんて風に簡単に呼ぶけれど、だいたい「欧」と「米」とではまるで違う。
パリとニューヨークでさえ三六〇〇マイルも離れているし、「アメリカ」なんてひと言にいっても、その国土は三八〇万平方マイルもある訳で、ちょっとした隣町の印象であるロサンジェルスとサンフランシスコでも、実に三八〇マイルも離れており……さて、私は「マイル」というのがなんなのか、実際よく判かっておりません。
アメリカはどうやら「スケール」が違う様子です。
|
Illustration by Kaori Mitsushima |
◇ ◆ ◇ ◆
「その森」には、「ウィリー家の跡地」というのがあるのだそうだ。
湖畔の離れに滞在している、テキサス出身の小説家マークが、午後に町まで買い出しに出かけ、グローサリーで仕入れてきた話。
アメリカ合衆国。コネティカット州。ステイト・パークに隣接した四五〇エーカーのレジデンス施設。私は「エーカー」というのがなんなのか、やっぱり今ひとつよく判っていない。
ディナー・テーブルを囲むアーティストたちは七名。ビーツとレンズ豆のディナーを調理してくれた、気の好いシェフ、カリフォルニアのボブもエプロンで手を拭いながら話に耳をかたむけている。マークはゆっくりと辺りを見渡す——
——ウィリー家は祖父の代から森に住んでいてね、当時三人の子供があったんだ——
ある時、真ん中の兄弟のジョンが森で精神に異常をきたし、サナトリウムへと送られる……が、ジョンは脱走して森へ戻り、ショットガンで家族全員を撃ち殺した。
精神異常と銃殺劇、ショットガンで頭部を破壊された、というところあたりで恐怖が絶頂に達するのがアメリカらしい……と感じるのは偏見だろうか。別に療養所を抜け出したからといって、家族全員を撃ち殺す必要なんてない訳で、そもそも心療病院に入れられたからって、恨みで家族の頭を吹っ飛ばす?「精神異常」ってのはそんなになんでもありなの?こいつはどうもマークの「新作」ではない?
だいたいそれよりも、「住み慣れた森」で突然精神に異常をきたした、なんていうところの方がよっぽど怖いよ。住み慣れてたんでしょ?子供の頃から。三代も前から。なんでまたこう突然錯乱するかね?だったら怖いのは「ショットガン」よりも、むしろ「森」の方なんじゃないの?なんかこう精神に悪く作用する、ざわめき的なものの存在とか?
マークはいう。
「確かにね、怖い。ウィリー家は森の中に貸別荘をいくつか持っていて、それを経営していたそうなんだね。それである日、その別荘に泊まっていた宿泊客の夫婦が、何者かによって射殺されたらしいんだ。ジョンは遺体の第一発見者だったそうだよ」
「トラウマになってたってこと?」
「精神に異常をきたした原因にはなったかもね」
……にしてもやっぱり銃殺劇じゃないか。
どうにも日本人の私は、物質的なものよりも精神的なものにさらなる恐怖を感じている様子で(もちろんショットガンは怖いけれど)だいたい子供の頃から「横切ったら祟られる」とか、「振り返ったら呪われる」とか、そういった恨みがましく理不尽なコンセプトをすっかり頭の中に刷り込まれている訳だから、やっぱり「肩に担いだショットガン」よりも「肩に誰か乗ってるよ」の方が随分と背筋が寒くなる。
そう考えてみると、何を持って「暗黙の恐怖」とするのかも、文化(刷り込まれている情報)によって様々に異なっているのかもしれない。
ともあれ。時差ボケぬけぬ木曜日。満月。私を含めた滞在作家七名と、気の好いシェフ、カリフォルニアのボブは、食事の後の深夜の森に懐中電灯をぶら下げて、廃墟となったウィリー家の跡地へと、肝試しに出かけたものでありました。
——————————
【Log de Voyage】 は毎月一日更新です。次回をお楽しみに!
text and illustrations © 2016 Log de Voyage