「六百間」と呼ばれる花札のゲームにおいて、「猪」と「鹿」と「蝶」が揃えば三〇〇点となる。
花札というのは地域によってその遊び方が異なっているから、私は自分が覚え知ったものにどれくらいの認知度があるのかは知らないが、九州の田舎の中学生であった私が、二〇世紀後半におこなっていた、休み時間を代表する真剣勝負のひとつであったところのこのやり方を、将来の民族学的資料の一環となるやもしれぬ、という責任意識からその一例としてここに紹介させていただくならば、そのルールとは、前述のような「役」と呼ばれるコンビネーションと、「役」を狙う際に手に入る札の合計得点でもって六〇〇点を目指し、先にその点数に到達したものが昼飯を 獲得する、というたぐいのものであった。
ふたりでやる場合には手元に八枚、場に八枚。三人でやる場合には手元に七枚、場に六枚。
ふたりの場合には、まずは伏せた四枚を相手に配り、続けて自分にも四枚を配る。それから場に四枚を開き、これをもう一度繰り返す。三人の場合には四、四、四、三、から、三、三、三、三。残った札は場の中央に伏せておく。
札を配ったもの、すなわち「親」から順に手札を場に出し、同じ種類の絵柄を合わせて取る。手元と場に同じ種がなければ、仕方がないから一枚を捨てる。手札を出した後は、場の中央に積んである「山」から、一番上の一枚を引き、場に同種があれば合わせて取る。なければそのまま場に捨てる。つまり、運が好ければ一回のターンで四枚の札が手に入り、悪くすればその回の収穫はない。
そうして「役」を狙いながら、手元の札がなくなるまでこれをくり返す訳だけれど、「役」以外にも、それぞれの札には、〇点(カス)、一〇点、五〇点という点数設定がなされている。
七月を描いた「萩」に「猪」があるものと、十月の「紅葉」に「鹿」があるもの、そして六月の「牡丹」に「蝶」が描かれたものを合わせて「猪鹿蝶」と呼び、これが揃うと三〇〇点の役となる。仮にこの三枚だけで得点を計算してみるならば、役として数えない「猪」「鹿」「蝶」はそれぞれ一〇点の札であるから、役の三〇〇点に三〇点を加算して、合計三三〇点、なかなか嬉しい点数である。
一方で、同じ三枚に「猪」と「鹿」があったとしても、「蝶」がなければ役としては成立しないから、札点だけの三〇点、これはとても残念であるね。
一枚五〇点である「松に鶴」や「桐に鳳凰」を手元に引けば、その二枚だけで一〇〇点だけれど、ここに「芒に月(坊主)」が加わるならば、「松桐坊主(三光)」で一五〇点、各札五〇点を合わせて三〇〇点、点が一気に跳ね上がる。
さらにこれに、「桜に幕」まで揃うならば、これは「四光」となって四〇〇点、プラス札点が二〇〇点で、なんと合計六〇〇点、「イチコロ上がり」で、私は食後にエクレアを食べる。
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Illustration by Kaori Mitsushima |
「芒に月」「菊に盃 」、二枚合わせて「月見て一杯」、「桜に幕」に「菊に盃」、これを合わせて「花見て一杯」。役の一〇〇点と札の六〇点で、それぞれ一六〇点となるのだけれど、「雨」が降れば「お流れ」で、これは残念六〇点。ところが、「月」に「桜」に「盃」が逢えば、酒呑み「鉄砲」四一〇点、「雨」が降っても平気であります。
——花と月、雨降り知らぬ、無鉄砲
◇ ◆ ◇ ◆
さて。そうして考えてみると、この花札の得点方式というのは、奇妙に教示 的であるようにも思えてくるね。
「盃」には「月」と「桜」を縁り合わせて、点数を飛躍
させる「性質」が隠されている。にも関わらず、「盃」が単体であるならば、自身ではその能力を引き出すことができない、ただの一〇点札となるのであります。また、普段ならば嬉しい五〇点札の「柳に小野道風(雨)」も、「一杯」の役がある場合には、酒盛りを流してしまう厄介ものとなる。
つまり、花札において一+一は二ではない。何と何とが反応するかによって、その結果は大きく異なる。一+一が一〇〇点にも、そして二〇〇点にもなり得るのである。
さらに、組み合わせの如何
によっては——すべての札を使うにも関わらず——自身も高得点、相手も高得点という勝負もあれば、反対に
相殺し合って、両者共に悲惨なカス、という場合さえある。
なんという奇妙!
相性——これぞ人間社会の風景ではありますまいか。
※ 花札のルールは地域によって異なるということを、再度お断り致します。
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