ヨーロッパの女性は浜辺でおっぱいを出すことに決まっている。なんでかは知らない。恥ずかしくもないらしい。
「男だって脱ぐじゃない?」——あ、そう。
ところが下半身となると事情は違うらしく、東アジアでは若い女性が、深夜でもミニスカートで、街を歩いているということが到底信じられない。
「レイプの危険が増すだけよ」——ああ、そう。
スペイン北東部カタルーニャ。州都バルセロナ。地中海沿岸の港町で、ヨーロッパ有数の世界都市。年間三百日近くが晴天で暑く、パエリアやバレンシアオレンジなんかはこの地方からやって来る。
——そういった訳で。
毎年まとまった休暇の季節ともなると、ヨーロッパ中から浜辺におっぱいを並べるために、ご婦人方がやって来る。それでまぁ。そんな光景を眺めているのも、確かに悪くはないのですが……
シュルレアリスムの本を片手に列車に乗る。フィゲラスまでの小旅行。車両はカタルーニャの森を抜けて、私はアンドレ・ブルトンの本を開く。
シュルレアリスム、その芸術的概念とはつまり……いや、待て、それよりも!
向かいに座る英国人のカップルは一体なんだね?英国の若いカップルというのは、これほどまでも列車の中で愛を囁きあうものなのかね?
アンドレ・ブルトンが、『人生の現実的生活への信頼が高じて行くと、最後にはその信頼は失われてしまう』というシュルレアリスティックな提言を行っている最中に、男はひざまづき、今日この日のバルセロナ旅行が、いかに君をもっと知るための素晴らしい機会だったかを、まこと切実に説き明かし、今まさに『シュルレアリスム』が男性名詞であると宣言されたその瞬間には、彼女は彼の素敵な愛の情熱に、うっとりとして心を開き、せいぜいそのたくましい腕を愛撫しながら、将来二人で育むであろう麗しき家庭のことなんかに思いを馳せて、それともやがて、『自分が何を喋っているのか判らない』という条件を守ることによってのみ、『シュルレアリスティックな評論』すら可能になる、という言説の頃に至っては、彼の柔らかくカールしたブロンドの髪を撫でながら、その額に何度も接吻を与えている。
男は愛の喜びに言葉を失い、ひざまづいたままひたすらその感動に打ち震える。ありがとうパパ!ハレルヤ!——福音。
一方、シュルレアリストのルイ・アラゴンによれば、『パーティのとぎれ目に、火をつけたパンチ酒の鉢のまわりに楽士たちがあつまっていたとき、私は樹木にむかって、いまも赤いリボンをもっているのかとたずねた』のだそうだ。
……ふむ、私はもう寝る。
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Illustration by Kaori Mitsushima |
◇ ◆ ◇ ◆
「……はい、ですからお客さまはハンコではなく、サインでのご登録ですので、ここのところにサインをお願いしたのです」
銀行の待ち合い室、そんな声が聞こえて来た。東京、日本。いや、別に聞き耳を立ててる訳じゃないんですがね。案外聞こえてしまうものなのです、母国語というものは。
「ええ、ですからこれが私のサインなのですが……」
バインダーに挟まった書類にサインをした(のであろう)若い男が、やや当惑したように答えている。
「ここの部分ですね、お客さまがご登録されたものは線がくっついておりまして、今回の分は離れております。同じようにサインして頂かないと、機械が読み取れない場合がございます」
係りの女性は書類を指差しながらそう返す。なるほど、サインというものは機械で読み取るものなのか。
日本には氏名を自著する「署名」はあるが、いわゆる「サイン(シグネチャ)」という習慣がない。
ヨーロッパでは、土地を購入しようが車を購入しようが、銀行口座の開設だろうと郵便物の受け取りだろうと、小切手にどれだけのゼロが並んでいようとも、サラッと「サイン」で済ませてしまう。そんなに簡単で大丈夫?なんて風にも思ってしまうが、「契約」こそを尊重する社会であるにも関わらず、それで成り立っているのだから、たぶん大丈夫なのだろう。
サインの形は人それぞれで、なんとか王朝を思い起こさせるような荘厳なものもあるし、やる気のない一本線のようなものもある。私は平仮名を極端に崩したようなものを使っているが、これはくり返し使用しているうちに「自分のもの」として認知されてくるのだそうで、日本の「実印」のように、どこかに提出して「登録」するようなものではないらしい。つまり、言ってみれば「事実婚」のようなものかもしれない。
「……では書き直します」
サインの不手際を指摘された男がそう答える。本人がしている「サイン」を「書き直します」なんてのも妙な話だよなぁ。しかしまぁ、本人ではない可能性もあるわけか…… 銀行だからね、それくらい慎重 になるのも仕方がないのか。それとも、案外こいつは大犯罪の現場に出くわしているのかもしれないぞ…… なんて、せいぜい安っぽい犯罪のシナリオにでも想像を巡らせたりなんかしていると、女性係員はこう言った。
「いえ、今回は結構です」
ええ!?私は思わず顔を上げる。女性係員は続ける。
「次回からよろしくお願いします」
なんと!
「今回は結構」なら「結構」ではないの?
線がくっついてないと機械が読み取れない可能性があるんじゃないの?「機械が読み取れない場合がある」んだったらやり直した方がいいんじゃない?
私は訳が判らなくなった。「次回からよろしくお願いします」?何を?
「……すみません」と男があやまる。
ええ!?何故あやまる?それは自分のサインなんじゃないの?
ふぅむ。何かしら「皮(がわ)」だけはそれらしく見えるものの、実際の「中身」が失われているようなこの感覚。日本ではこのような風景を「シュールである」と形容します。
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