仕事のやり方というのは国によって異なっている。
グルジアという西アジアの国で、定期的に仕事をしております。
西は黒海に面し、南はトルコとアルメニア、南東から東はアゼルバイジャンに隣接し、その向こうにはカスピ海。そして北東から北に横たわるコーカサス山脈を越えると、チェチェン共和国を含む北カフカース連邦管区、ロシアであります。
南オセチア紛争をはじめ、グルジアとロシアとの政治的関係は非常に複雑で(しばしば非常に悪く)、アルメニアはグルジアよりも経済が未発達。アゼルバイジャンやトルコは回教徒の国で、ロシア正教徒が多いグルジアは、つまり「陸の孤島」に近い。
孤立している、ということは、物資の流れが緩慢であるということ。
作品の材料を買い出しにマーケットへ行くと、モノがないということを実感する。簡単に手に入る、とタカをくくりがちなモノの入手が難しい。
例えば。同じプラスドライバー一本にしたって型番がある。切れ込みが深いものから浅いものまで、それらはねじ頭部の溝に合わせて使い分けるのが好ましい。つまり、「それ」用に作られたものは「それ」用の道具で……
しかし、ここにあるのはどこからか寄せ集められてきたものばかり。時に欧州規格のものもあれば、ソヴィエトユニオン製のものもある。そういえば民族博物館で似たようなやつを見かけたなぁ……なんて状況では、「噛み合わない」ものでも仕方がない。無理矢理代用するしかない。なにぶん「それ」が「ない」のだから……
加えて残念なことには、品質の低い商品が、例えば東京に近いような値段で売られている。角材を数本切るだけで、簡単に刃が飛ぶ鋸だとか、叩けば曲がる釘だとか。つまりそんなものでも貴重であるから値段が高い。断っておけば、私はそんな状況には慣れております。
それにしても、モノが「ない」ところに来ると、モノが「ある」ということが、どういうことなのかがよく判る。
「モノがある(生産設備が整った)」ところでは、さらに新しいモノが作られる。そして、モノがないところでは、同じモノを作るにしても時間がかかる。発明とか大流行のような、突拍子もない経済の飛躍が起こらない限り、そのような差はジリジリと開いてゆくようにも思われる。
◇ ◆ ◇ ◆
首都トビリシの美術館で、「自称」大工さんだという人と働いております。何がすごいって、彼には「計画」という概念が存在しない。
長さ二メートル、幅一〇センチの木材があったとお考えください。
私はこれを五等分して——つまり四〇センチづつの長さに切って——並べて、四〇センチ × 五〇センチの長方形を作り、ひと回り大きな別の板に打ちつける必要があった。
「大工さん」は、彼の「大工の直感(シックスセンス)」に従って、計算もせずに材料を切るね。台にも置かず、固定もせずに、勿論印なんてつける訳もなく——私は半ば
唖然
としてそれを眺めていた訳でありますが——ここぞ、という箇所にあたりをつけて、電動ノコギリで切る。切る。切る。
中空でまっすぐ木材を切ろうとするそのスタイルを、私はまず「エア・ノコ」と名付けたね。そうして切り出された五枚の材料は、当然ながら長さがまちまちで、もちろん直角だって出てやしない。
さて次に、それらの五枚の材料を並べて、もうひと回り大きい板の中央に固定する必要がある。彼はまず、「五枚揃えばだいたい中央になるであろう」位置に、一枚目の板を置き、早速左端に釘を当てる。
計算して出した位置ではない、「大工のシックスセンス」の指示するところ。そして——しつこいようですがもう一度——計って出した位置ではない、その場所に……
——彼は
——今
——仮留めではなく
——全力で
—— 渾身の金槌 を——
——叩き込む!
私にはもう止められない。
ごきげんな大工さんは固定された一枚目の板を基準にして、二枚目の板を並べてみる。左側のラインをきっちりと揃えて、——よしよし、まっすぐじゃないか!——この左端も釘で留める。続けて同じように、左側のラインを揃えた三枚目を、四枚目を、五枚目を、その左隅に得意の
金槌を振り下ろす。
——やれやれ、左側は終わったぞ。さて次は残った右側を……
といったところで気が付いたね。
左側は(まぁまぁ)揃
っているものの、右端は——そもそも材料の長さがまちまちなのだから——当然
不揃い。まったく酷い有様であります。一瞬動きが止まった後に、「大工さん」はゆっくり私を振り返る。オーマイガッシュ!そんな目をして見ないでくれよ!
結果は予想していたし、まぁこういっちゃぁなんですが、これは作品の「見えない部分」なのでありまして、これもひとつの「味」なのかと、もはや諦
めてはいたのですが……私は冗談のつもりで、残念そうな顔をして——つまりいたたまれない「Oh no……」の演出でもって——軽く頭を振ってみた。すると彼は大急ぎで電動ノコギリを取り出して、
不揃いの右端だけをまとめて切ろうと取り掛かる!
「無理!無理!無理!無理!いいよ!いいよ!悪かったって!冗談だって!」
固定された状態から上の板だけを切るのは、どんな「エア・ノコ」の達人でも無理であります。
根拠なく定めたポジションにいきなりモノを固定する。当然現れる次の問題には、問題が出た時点から対処する。「計画」という概念もなければ、「ひとつ作業を戻る」という思考もない。継ぎ足し、継ぎ足し、継ぎ足しの発想。リアル・ミスタービーンの悪夢。
そういえばトビリシ市内には、解体中なのか建設中なのか、よく判らないような骨組みのビルが沢山ある。
ある時現地の友人にそのことについて尋ねてみたら、「解体途中のものもあるし、建設途中のものもあるけれど、どちらにしても予算が確保できた時点で作業を開始して、予算が尽きたら次の予算が取れるまでそのままにしている」のだそうです。「らしい」と言えばとても「らしい」……
グルジアの名誉のために断っておきますと、これは非常に個人的な体験なのでありまして、誰もが、かの「大工さん」のようではない。尊敬できる技術者の方々も沢山おられますし、外注に出したプランなどは、いつも丁寧に、まったく正確に仕上がって来るのであります。
◇ ◆ ◇ ◆
さて。後日談になりますが、プロジェクト中アシスタントを務めてくれた女の子と、私は「折り紙」を折って遊んでいた。ところでふと思ったね。折り紙というのは、非常に日本的な発想なのではないだろうか。
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Illustration by Kaori Mitsushima |
一度折ってからもう一度開く。折り形のついた線に沿って、今度は反対側に折り込んでゆく……つまりここには、折れ線をつけるため「だけ」の作業が、重要な工程として組み込まれている。
例えばあの大工さんならば、「ここをこう折る」となれば、無理にでも、最初から「そこをそう折る」のではないだろうか。
面倒臭く、ひと工程が増えたとしても、後に作業がし易いようにと、計画を立ててから作業に取り組む。当たり前のことのようにも思えますが、(つまり当たり前だとしか思えないからこそ)この思考回路は、世界でも高い評価を受けている、日本の技術の遺伝子的存在なのではないでしょうか。
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【Log de Voyage】 は毎月一日更新です。次回をお楽しみに!
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