ロラン・バルト(Roland Barthes)というフランスの学者の本を読むと、空想上のしろものだ、と前置きされた上で、ひとつの世界が現れてくる。
「想像された日本」
西欧とは別の次元に存在する、「日本」という名の物語り世界。
「異邦人」たちのように、日本を眺めることができたらどんなに素晴らしいだろう。そこは詩的で繊細に美しく、高度に完結した楽園のようであります。
一方で、ヨーロッパについて書かれた日本のエッセイなんかを読んでいると、むしろ欧州こそ完璧に、上品この上なく洗練された、「生き方のお手本」となるべき社会のようにさえ思えてくる。
ヨーロッパ人は言う。
「アジア好いよねぇ!」
アジア人は言う。
「ヨーロッパ好いよねぇ!」
まずはないものねだりということでしょうか。
ロラン・バルトの夢に遊び、期待に胸を膨らませて日本へ戻ると——いづれ懐かしからぬはなし——あちらが変わったか、こちらが変わったか、想い出に鼻先を突っ込みながら町を歩く、私が目撃するのものは、「日本的なもの」が日々失われてゆくような、そして「西洋的なもの」が意味を違えて日々に配置されてゆくような、実に「かなしい風景」であります。
日本で「フランス的な」ものを見かけると、あるいはボジョレー・ヌーボーに必要以上の価値を与えているような人々を見かけると、「フランスでの感じとは違うなぁ……」なんて、なんだかかなしくなってしまう。では実際に、ボジョレーは一本お幾らなのか、という問題ではなく……
「カマンベール40%入りチーズ」なんてのもちょっとかなしい。カマンベールチーズを40%混ぜて、日本人に好まれる味を創り出す努力が、ではなく、太文字の「カマンベール」に、そっと続く「40%」の行間の辺りが……
一方で、フランスで「日本的な」ものを見かけると、あるいはディナーテーブルのキャンドルの下で、「焼きそば」がさながらパスタの如く、静々と丸め上げられてゆくような光景を見ると、「まったくもって判っちゃいないなぁ……」これまたかなしくなってしまう。音を立てず召し上がることが、焼きそばの根本精神に対立するかどうかの話しではなく……
◇ ◆ ◇ ◆
フランスで一般的な食べ物に「クスクス」というものがあります。
北アフリカ、中東あたりからやってきた粒状の食べ物で、まぁ起源のことはよく知らない。さて、フランス人たちはあれをフォークで食べるね。
パラパラとしたクスクスは、どう見たってフォークで口に運ぶには適していない。フォークは「すくい上げる」ための道具ではないし、穀物でできた粒は「突き刺す」種類の食べ物ではない。手で、あるいは最悪でもスプーンで食べるようなもののように思えるのです。
誰かが「そうするものだ」と決めたのだろうか。それとも思い込みと文化的習慣の発想の自然とは、やっぱり内部にあればどんな奇妙な光景でも、違和感なく信じ込ませてしまうものなのだろうか。遠方から伝えられし珍妙な食べ物を、どうにか現地化させるために「翻訳」の苦行を行った先人たちの姿は、やっぱり「かなしい風景」だったのでしょうか。
例えば、日本人がいない食卓で——つまり「監督」を欠いた「現場」において——にぎり寿司など、どのように扱われているのだろう。箸か指でひょいとつまんで、刺身の側に醤油をちょいと、新鮮なうちにサッといただくのが「粋」な姿にも思えるのですが……
今日まさか「フォークでブスリ」なんていうのはないと思うけれど、どこかでは割り箸の上に危なっかしく乗っかり、フォークリフトよろしくフラフラと、やがてゴールたる「ソイソース」の中に放り込まれ、あっちこっちへとひっくり返され、どっぷりと「ディップ」された挙げ句、無惨に崩壊する米粒を尻目に「日本食代表」の賞賛を浴びたりしているのでしょうか。
土砂災害よろしく、分解・水没した米粒の残る醤油の小皿は、やっぱり「かなしい風景」であります。
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遠くからやってきたものは、運命的に逃れようもなく「本来的な意味」をスライドさせながら、社会の中に再配置される。「クリスマス」だって「ハロウィン」だって、「デモクラシー」だって「アート」だって。政治や経済や文化や諸々の事情によって、つまり土地と時代の文脈によって、分解されて翻訳されて、知らんぷりをして現地化する。
かつて日本には、『畳に扇風機は似合わない』時代があったともいいますが、今日「畳に扇風機」は、むしろノスタルジックな光景であります。
どこからかやって来た「そもそも」が、どうにも「かなしく」翻訳されて、たまたま現地化している最中を、当時に生まれた私なんかが「日本的なもの」として思い込む。そうして長じてからは、その風景が「失われる」とさえ感じてしまう。私たちは概して「最初に見たもの」を、「そういうものだ」と思い込むけれど、実は「もともとそうではない」あるいは「もともとそうだった」という可能性だって、十分に考えられるのであります。
韓国では刺身に辛子味噌をつけて食べるので、それじゃぁ魚の味なんてしないだろう、なんて思ったりもするのですが、フランス人にとっては、シャンパンにオレンジジュースを注ぐ「ミモザ」なんていう英国式の発想も、とうてい信じられないものでありまして、まぁそんな訳で、私は最近ことわざを作りました。
「You're eating Udon with a knife and fork!」
(そりゃあんた、うどんをナイフとフォークで食うようなもんだ!)
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Illustration by Kaori Mitsushima |
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さて。日本の古語においては、「かなし」という音に、「愛」の文字を当てたともいいます。いとおしい、かわいい、守りたい思いを抱かせる様子。日々は「愛(かなし)い風景」の連続であります。
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