Log de Voyageさよならの速度

 

 

「タオル持っていますか?」
「ん?小さいのなら」

答えてから後悔した。なんたって私のラゲッジの一番上には、荷物が揺れるのを防ぐために大きなバスタオルが敷いてある。

フランスの田舎、いくつかの村が協合して開催する野外展。参加作家として先ほどようやく湖畔の宿泊所に到着した私は、まだ自分の荷物だって開いちゃいない。

「貸してくれ」と言われるのは目に見えていた。
同じ展覧会の参加作家、流暢りゅうちょう な韓国英語を喋るぺ君。二三時間をかけてさっき韓国から飛んで来た。その長旅の疲れを いやすために、早速私の部屋でシャワーを浴びたいのだと言う。

私の部屋で?
まだ私も使っていないシャワーを?
——ふむ、まぁ構わないよ、私は。

制作中の作家には、作品を設置する場所によって滞在先の宿舎が割り振られている。私はひとりでこの湖畔の宿舎に、ぺ君は車でおよそ三〇分ほど離れた森に近い別の宿舎に。

土地を紹介したいというおもてなしの気持ちもあったのだろうか、あるいは同じアジア人だからという発想か、フランス人のオルガナイザーは、ペ君をまずは私の宿舎へと案内した。
私との簡単な挨拶のやり取りを済ませれば、ペ君は彼の宿舎へと、快適なシャワールームが備え付けられた彼自身の個室へと、すぐさま案内されるはずであった。しかし彼は今、私の宿舎でシャワーを浴びたいと言う。何故?二三時間もかけて移動して来て、あと三〇分がどうしても待てない?
おそらくそれは、オルガナイザーを始めとするフランス人たちが、一向に会話を終える気配を見せないからである。

◇ ◆ ◇ ◆

「会話を終える気配」、それはアジア人とヨーロッパ人とではずいぶん違うね。

「長くなりそうだなぁ……」
早口でまくし立てるフランス人たちを見て、素朴なアジア人はそう思う。違います。まるで逆です。別れ際、次第に早口になり、おおいに「盛り上がりの気配」をみせるフランス人たちは、今まさに会話を切り上げようとしている最中なのです。

思うに、「会話を切り上げる」というのはフランス人にとって、「話しても話しても話し足りない!」という「印象付け」の完了を意味している。

トツトツと語り、そろそろ喋ることもなくなってきた頃合いに

「左様(さよう)ならば、これにてお暇(いとま)仕(つかまつ)る」

宣言したら三分以内、上着を羽織り、靴を履き、いそいそと帰り支度を始める日本人とはずいぶん違う。

日本や韓国では「そろそろ」と感じがちな「沈黙の気配」——「疲れてるんだ、察してくれよ……」、アジアでは「沈黙」もひとつの言語であります——は、「話し足りない!」という印象からはほど遠いものでありますから、フランス人にとっては—— C'est pas possible! ——まだまだ「さよなら」の段階ではない。

東アジア式「帰りたいアピール=アンニュイな沈黙」に直面したフランス人は

「Oh mon Dieu! ——彼はまだ本調子ではないね。もっと喋って愉快な気持ちにさせなければ!」
仏流お喋りを加速させるのであります。そして逆に、もしも彼が饒舌じょうぜつに喋るのであれば

「Très bien! ——彼には喋ることが沢山あるね。では改めて別の機会を準備しよう!」
本日の会話は終了の方向へと向かうのであります。

つまりフランスにおいて早く会話を切り上げたい場合、「沈黙」を作り出すべきではない。さらに喋って、「会話を加速させる」べきなのであります。
すなわち攻撃こそ最大の防御なり、引いてダメなら押してみろ。愛すべきアジアの隣人、我が友ぺ君!お喋りなフランス人の前では、疲れている時こそ饒舌に!

ところで、京都で二杯目のお茶漬けを勧められるならば、「まだおりはるの?」の意なのだそうですが、そういった「心の音」は、文化を違えても、はたして聴こえてくるものなのでしょうか。これぞ最大の関心事ではありますが、ちなみに私は時々、お客様に「ウォッカ」などを勧める場合がございます。これは是非とも「察して頂きたい」ご提案であります。

ともあれ、フランスにおいてはこのように、早口の会話が山場に差しかかった頃に、ようやく「さよなら」となる訳でありますが、まだまだ油断をしてはならない。最初の「さよなら」は、「さよなら開始」の合図であり、下手をすると、ここから「そういえば!」の延長戦も、十分に起こり得るのであります。

さて、朝からの移動でそれなりに疲れていた私と、前日から現場に到着し始めたアーティストたちを次々と迎えてきたオルガニゼーションの面々とは、「今日は早めに切り上げようね」という暗黙の了解上、このフランス式「さよならの儀式」を、平和うちに進めていた訳でありますが……韓国のぺ君にはもちろんそんなことは判らない。
いよいよ加速し、さらに「盛り上がりの気配」を見せる会話、アジア式謙虚の美徳から、お喋りを邪魔しようなんて発想はもちろんなく、だったら——

「シャワーを借りてもいいですか?」

終にリラックスする覚悟を決めた。
私はもちろん構わない。「私だって早くゆっくりしたいよ」なんてことももちろん言わない。いや、本当に。

さてしかし。ぺ君がシャワーを浴びるとなれば、私は(彼を待つことになるであろう)他の人々のために、赤ワインの一本でも引っこ抜くべきかね?そんなことを考えていると……

「タオル持っていますか?」
「ん?小さいのなら」

——反射的に答えてしまった。

 

Illustration for Log de Voyage

Illustration by Kaori Mitsushima

 

空港から直接やって来たぺ君の荷物は、外に停まった車の中。ヨーロッパ人やアメリカ人なら、会話を中断させてトランクを開けさせてでも自分の物を使うところを、初対面でも借りて済ますのがアジアの親密。付け加えておきますなら、これは数年間韓国に生活した私にとっては、懐しく慣れ親しんだ感覚でもあります。

しかし「小さいのなら」というのは失敗だったね。
小さなタオルはラゲッジの底、荷物を開いた一番上には、出発前に洗濯したばかりの大きなタオルが広げてある。
ペ君は今、とても親し気に——よそ見なんて一切せずに——ラゲッジを開く私を見つめている……

「えぇい!持ってけ!」
私は柔らかく乾いた大きなタオルを、この純朴な新しい友人に押しつける。ふわり、辺りにラベンダーの香りが漂った。

「Thank you!」
いいよ、いいよ、お礼なんて……

◇ ◆ ◇ ◆

さて。私が到着する前に十分に清掃が行き届き、私もまだ使っていなかったシャワーを夕方から堪能たんのうし、柔軟剤でふわふわに仕上がったバスタオルで、二十三時間の長旅の疲れを拭い去った礼儀正しい韓国のぺ君は、夜に私がシャワーを浴びようとした時に、すぐに私が今日の出来事を思い出せるようにと、シャワーフロアに豪胆ごうたんな陰毛を二本残していった。

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【Log de Voyage】 は毎月一日更新です。次回をお楽しみに!

 

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