海外の町を歩く時は、できるだけ現地にとけ込んでおく方が好い。町角でガイドブックを見ながらキョロキョロしているのは無粋なだけではなく、場所によっては身の危険さえ増す。
およそ初めて訪れる土地なんかでは、とにかく周囲のすべてが真新しく「見て~路面電車の色が黄色~!」なんて、たわいもないことでワクワクしてしまうものですが、これがいわゆる「ハネムーン・ピリオド」であります。
三ヶ月ほどどこかに滞在して作品を制作する時なんか、最初のひと月はこの蜜月期、すなわちその国の好いところばかりが目に入ってきて、まるで恋をしているような、うっとりとした感覚に包まれる。
ふた月目に入る頃からその土地の欠点なんかも見え始めて、文化的な拒絶反応なんかも起こってくる。いちいちのことに腹が立って、あれほど愛らしく、魅力的だった文化的な所作が、今やすべて私に敵対し、まったく気に食わないものへと変ってしまう。
「なんでそんな風に変ってしまったの?最初はあんなに優しかったのに……」
いやいやいや、社会がたったひと月でそんなに急激な変化を迎えたとは考えにくい。つまり変ってしまったのは「私」であります。
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Illustration by Kaori Mitsushima |
三ヶ月目に入る頃にはようやく拒絶反応も落ち着いてきて、以前とは違った目で風景を眺めることができる。好いも悪いもひっくるめて、土地との関係性が出来てくる。これぞまさしく化学反応、「私」という個が、「土地」の文化にどう作用するのか、実に興味が尽きないものでありますが……さて、そういった訳で、関係性は時間と共に変化する。故に、長く現地に滞在していると、あれほど新鮮だった何もかもが、やがて退屈な毎日の中へと埋没し、私自身からも旅人の気配が消えてゆく。(これは現地の人にとっては面白くないね。慣れてゆくことによって、何もかもに満面の笑みと喜びをたたえていた新鮮な外国人の素朴さが失われて、今や私は何の可愛気もない、ただの人間になってしまう)しかし、本当に楽しいのはここからであります。
韓国には二年間生活をして、一時的な滞在を含めると、たぶんその倍近い時間を過ごしている。自分ではずいぶんと「透明」に町を歩くことができると考えているのだけれど、いまだに「専門家」の目から見れば、やっぱり私は「観光客」に見えるらしい。
ソウルの市場、日本語で話しかけられる。
「お兄さん、ブランドバックあるよ~」
「ええ~要らないよ~」
「そういわないで見ていってよ~、完璧な偽物あるよ~」
あっはっはっは!こいつはいいね!「完璧な偽物」とは何だろう?私はこんなに哲学的で困惑的で、自己矛盾した言葉が大好きだね。
彼のいう「完璧な偽物」とは、おそらく「精巧な模造品」のことなのだろうけれど、文字通りに解釈するならば「完璧」な「偽物」とは、「本格的」な「偽物」、つまり「完璧に」「偽物」としての要求を満たし、存在そのもので、純粋に偽物としての哲学を実践している、一流の、つまり「本物の偽物」であるに違いない。
そういえば、似たような困惑的な単語には、「燃えないごみの袋」というのがあるね。「燃えないごみ」を入れる、すなわち「不燃物ごみ用指定袋」というのが意味するところなのだけれど、「燃えない」「ごみの袋」には、どんなに頑張って火を放っても、一向に燃えない新素材の技術革新を思わせるセンスがあって好いね。
は!ところで私は気がついたね。「完璧な偽物」とは、滞在三ヶ月目辺りで、すっかり町のことが判ったような気分になっている、したり顔の旅人の姿ではないか。もっと言うならば、せいぜい数年間フランスに住んでいるからといって、まったくフランス人気取りになっている、移民の姿そのものではないか。私は自分でも気がつかないうちに、「本物の偽物」になってしまったのではないでしょうか。
さて、まぁしかし、そんな「偽物」にまったく美学がないという訳でもない。一体、偽物における本格性とはなんであろう?
まずは何かを模した、というのが明確でなければなるまい。精巧過ぎて本物と見分けがつかないようでは話にならない。そんなものを「完璧な偽物」と呼ぶことはできない。判断には慎重さが求められるのであります。
その為には「あ、アレだ」という、思わせ振りな態度が必要である。そして近寄ってよく見ると、それは絶妙の
塩梅で、「なぁんだ、偽物じゃないか!」という具合であるのが好ましい。模した「それ」を、思い描けないようであれば論外で、しかしよく見ても「それ」との区別がつかなければ、これも駄目。そして欲を言うならば、偽物であるという可愛気があって、つまり模造品であることが知れた後にも「あれは完璧だったね、偽物だったけど……」と、倒置法かなんかで思い出される程度のヒューモアが備わっていれば完璧であります。
さて、そうして考えてみると「完璧な偽物」とは、やっぱり「LOUIS WUITTON」あたりが一流と呼べるのではないでしょうか。
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ところで、市場というのはやっぱり楽しいところであります。
インドを旅していた頃、毎日の買い物は交渉の連続となる訳ですが……
「マスター!マスター!買っていってよ!」
「ええ?いくらなの?」
「これ本物ね、マスター、三〇ルピーよ」
「えぇ~高いよ」
「待って待って!いくらなら買うの?ハウマッチ?ハウマッチ?」
「二五ルピー」
「オーマイガット!まったくありえない!二七ルピーでどう?」
なんて具合に交渉が続く。私にとってはまぁ理解の範疇。ところがトルコのバザールなんかへ行くと話は変わる。
「おじさん、これっていくら?」
「三〇リラです、マイフレンド」
「えぇ~高いよ、二五リラに負けてよ〜」
「アッラハラー!何という日だ、あなた!二〇リラで好いでしょう!」
なんと!提示した金額よりも安くしてくれるというこの不思議!普段は一体いくらで売っているのだろう?
異なるロジックを目の前にすると、何か騙されているのでは?という感覚がつきまとうのであります。
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